
| 一般の方が墓を持つようになったのは、江戸幕府によって檀家制度が設けられた頃からです。庶民の家のお墓が確立したのは、明治30年代以降のことです。江戸時代以前は、野原、林、島などに遺体を捨てる
「野捨て」 が一般的でした。上流階級の人たちも、火葬の後に骨を砕いて、山や谷に撒いていたそうです。 戦後になって、火葬が定着し、海や山に遺灰を散骨し、自然に還す葬送も認められるようになりました。 ちなみに、近代的な火葬場は明治時代に生まれました。牛鍋屋 「いろは」 経営者の木村荘平さんが、焼却時間を一気に短縮した炉、棺を運搬するレールを設置。これが現代の火葬場の原点となっています。まさに異業種からの参入です。 現在東京23区内には、東京都営の 「瑞江火葬場」、港区 ・ 品川区 ・ 目黒区 ・ 大田区 ・ 世田谷区の5区が第3セクター方式で運営する 「臨海斎場」、東京博善鰍フ運営する六つの火葬場の合計八つの火葬場がありそれぞれ独自の方針で運営されています。 火葬場の機能としては、「瑞江火葬場」 以外の火葬場は、同一敷地内に葬儀式場が併設されています。 火葬炉の等級は 「瑞江火葬場」 と 「臨海斎場」 は総て同じで、東京博善鰍フ運営する火葬場の火葬炉には、「最上等」 「特別室」 「特別殯館」 等の火葬炉の等級があるなどの違いがあります。 東京都内で70%のシェアを占める「東京博善梶vの運営する火葬場は、「堀ノ内火葬場」 「代々幡火葬場」 「落合火葬場」 「町屋火葬場」 「四ツ木火葬場」 「桐ヶ谷火葬場」 の六つです。この東京博善鰍ェ、出版やゴルフ場経営を行っている東証一部上場企業 「廣済堂梶v の傘下に入り東京の葬儀業界は、「東京博善梶v がほぼ独占事業化で消費者利益に反するような事をやっているように思われがちでしたが、決してそんな事はありません。 東京博善鰍フ受付時間は、午前零時で終了し、翌朝6時から受付開始(他の火葬場は24時間受付)になっています。この為、葬儀日程などがなかなか組みにくいのですけれども、ご喪家 ・ 消費者の皆様にご理解を頂いているのが実状です。 東京博善鰍ェ廣済堂鰍フ傘下になったおかげで、以前からの懸案だった各火葬場の近代化が着々と行われ、以前と比べると見違えるほど充実した設備に建て直されるなど、非常に良い面が出てきました。また、「臨海斎場」ができたこともあって、以前に比べ独占企業的なイメージはだいぶ変化しつつあるように感じられます。また、葬祭会場と火葬場が併設されている施設において、葬祭会場から火葬場までのわずかな距離の棺の移動について、「公正取引委員会」 から 「代替手段に関する指導」 が葬儀業界に出されました。それによって、都内の葬儀社は火葬場に隣接している葬儀式場を使用した場合には、お棺を火葬炉に運ぶのに、火葬場に用意してある専用の台車にお棺を乗せて火葬炉までお運びするか、または霊柩車にお棺を乗せてお運びするかをご遺族の意向をお尋ねしてご喪家の希望通りにする事ができるようになりました。 しかし故人の旅立ちに際して、式場から火葬炉までのわずかな距離といえども、やはりお棺を霊柩車にお乗せして、その後にご遺族や親戚の方達が従いながら歩いている野辺の送りは、故人の思い出とお別れにふさわしい最後のひとときと言えると共に、こういった伝統文化を守ってこそ故人に対して最後の礼を尽くすということではないでしょうか。 |
| 都内の火葬場は、民営 「東京博善株式会社」 が6ヶ所、都営 「瑞江火葬場」 が1ヶ所、区営 「臨海斎場」 が1ヶ所の8ヶ所です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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